海外を恐れずに

留学という出発

 

 〜初めまして〜

 このブログを読んでいただいている方は、僕が推し進めて無理やり読まされている友人がほとんどであると思います。その中でこの記事を目にしてくれた全ての方に感謝を述べると共に、僕の目に映った海外というものを発信していければと思います。駄文ではありますが、今後とも暖かい目で見守っていただければと思います。

 

手始めに今回の記事では自分の留学までの過程を綴るので興味をお持ちの方は読んでいただけると幸いです。

 

 〜自分にとっての海外という地〜

 さて、今回は留学を決意に至った自分の胸の内を軽い経歴と共にお話していこうと思います。

 日本で生まれた僕は気づけば生後数ヶ月で飛行機に乗っていました。降り立った先はドイツのデュッセルドルフです。両親が割とグローバルな環境で仕事をしていたのでこのような海外赴任に付いていく家族は意外といるのかもしれないです。

 

何の気もなく、ドイツで幼少期を過ごした自分にとって海外とは、ヨーロッパとは、ドイツとはただの生活場所であり、ごく普通に幼稚園に行き、当たり前に生活をしているだけの地でした。

 

その後、六歳の年長になる年に日本に帰国して以来、海外とは無縁の生活を送ってきましたが、その時もただ生活の地がドイツから日本に移るだけという感覚があったのを覚えています。海外在住経験というものは幼い自分にとって、ただ自分とは違う国籍の人間の中で生活するということであり、実際に世間でイメージされる帰国子女とは程遠いものでありました。

 

 

当然幼少の記憶は強くは残らないので大学2年生になるまで、海外を強く意識して生活することはありませんでしたが、そんな中でも成長と共に、海外が社会の授業やテレビ番組で得た知識によって憧れの地になったということに加えて、昔と現在での海外のイメージのギャップから来る好奇心と恐怖が自分の内に存在していました。その中でいつかたどり着くことができればという漠然とした思いを抱き、過ごしていました。

 

ケルン大聖堂。ここは数少ない記憶に残っている場所です。

 

オランダのスケベニンゲンという海岸。生まれて初めての海でした。

〜周りと海外との関係〜

その漠然とした思いを確かなものにするために大学では絶対に海外に対して挑戦をしようとなんとなく思って、大学に入学しました。

 

今思えば、そのなんとなくというスタンスがマイナスを生み出してしまったと感じます。

 

具体的には、大学というオープンな環境に打ちのめされたということです。多様な人間が存在する大学という場所で一際輝く留学体験者やネイティブレベルの英語話者に気遅れをしてしまったのです。たった幼少期の数年を国外で過ごしただけである自分に対して、広い世界に出れば、そんな経験より何百倍も濃い海外体験をしている人は星の数ほどいます。

 

海外に行ってみたいけど、自分よりは上がいるということで萎縮することもあり、本当に自分は海外に行っても良いのかということで海外という地が遠く感じている実感が確かにありました。

 

海外に行く機会を覗って大学に入ったために、その目標で挫折した際に抜け殻のように、サークルにも入らず、バイトとなんとなく大学の講義を受けるだけの悶々とした日々を送っていた自分にとって、大学生活の前半は生き甲斐探しに苦しみ、進む道を模索することに大変苦労しました。その中でも海外という選択肢を自ら除外してしまったことに後悔を残していました。

 

もちろんこの現状を変えたいという気持ちはありましたが、いざ海外に乗り出すという覚悟を決めることはなかなかできませんでした。

 

そうした自分の気持ちに変化を与えてくれたものは海外を挫折するきっかけになり、自然に海外についての対話を避けてきたはずの海外経験を持ったり、海外志向の強い周りの存在でした。

 

例えば、大学でできた留学を志す同じ専攻の友達には、漠然とした海外志向から留学を具体的に形にしていくプロセスやそのために死に物狂いで英語を勉強しなければいけないということを教えてもらいました。(彼は専攻の授業で内職するどころか、図書館に通い詰めて英語を勉強しているほどの英語狂振りを見せていました。)

 

他方で海外から帰国したばかりのドイツ時代の幼馴染は、ドイツから帰国した後に自分たちがどのような教育を受けてきたかやその当時の生活を話してくれ、改めて異国の教育や環境への憧れを再認識させてもらいました。バイト先にも自分と同様に海外に憧れながらも、覚悟を持って欧州に出発する良き友達がいたことも大きいですね。

 

この出会いを経て、海外という地は少し自分に近づいてきてくれたように感じられ、海外への障壁が少し崩れたことを実感した気がします。その障壁を取り除く機会を持てたことはとても喜ばしいことであると同時に海外に対して少し前向きになれたからこそ、素直に友人たちの言葉や姿勢を受け入れることができたようにも思います。

 

 

ここで強調したいことは、挫折した時に自分の周りにいた人も今回留学を決意するきっかけとなってくれた人も立ち振る舞いは全く一緒ということです。自分が彼らをどのように捉えていくかで彼らはどのような存在にもなるものだと思います。

 

その視点を持ち始めてからはこれまで憧れや羨望の眼差しで見て対話を恐れていた海外経験者の子たちとももう一度しっかりと話しをしてみたいと強く思います。ここに至るまでに、自分の周りにはそのような奮起をさせてくれるような刺激をくれる友人がいたことは確かで、自分が幸福であることは間違いないと思います。だからこそ自分も誰かに影響を与えたいなんていう偉口は叩けませんが、帰国後に少しでも多く、かつての自分と同じ思いの人と良い刺激を与え、与えられる関係を築きたいと思います。

 

大学2年生の春にそのような友人たちとの対話から改めて自分の中での海外の存在を見つめ直すことができました。出た答えは自分にとって海外とは憧れやゴールではなく、見知らぬ地で自分を磨く出発であり、海外に対して抱いていた恐怖は無知や語学力不足による単純な敬遠であると実感しました。

 

その殻を破ることで自分が変わるのではないかという期待とともに自分はまずは慶應で交換留学生となって、改めて海外という環境に身を置くことを決意しました。

 

〜出願準備で得たもの〜

 

いざ、出発を決意したはいいものの決めなきゃいけないこと、やらなきゃいけないことは山積みです。

 

どこの国に行くのか、何を学びに行くのか、本当に交換留学に行き、やり通すことができるのかということを強く再確認し(この答えはまた別途記事にしようと思います。)、その上でIELTSを受け、GPAを上げて、しっかりと筋の通った志望書を書かなければいけませんでした。

 

もちろん簡単なことではない。だからこそ、準備を始めてからは何かを目指し、自分を磨く感覚を持つことができ、その機会を得ることができただけでも、留学を目指す価値はあったと当時強く感じました。

 

通常であれば夏休みに入って怠惰すぎる毎日が始まるのですが、この時期にはIELTSの勉強に追われて、必死こいて勉強をしました。夏休み早々、試験があったのですが、結果は基準を超えることができました。もちろん、人に誇ることができるほど立派なスコアではないですが、これが必死の勉強でも思ったよりスコアが伸びなかったことへの悔しさにつながり、今後の糧としては大きすぎるものだったと感じています。

 

その後、出願で要求される成績が発表され、下がってしまったものの、一年生のころの貯蓄で出願には十分足りる結果となり、無事に残すは志望理由書の作成だけとなりました。

 

この志望理由書は出願前からご相談に乗っていただいた先輩のお力をお借りしながら、春学期中ずっと考えていた、留学への思い、将来設計の中の海外という軸を意識してしっかりと形にすることができたように思います。言語化するのはかなり難しく自分の中でなぜ留学に行きたいかと将来この留学が何につながるかという点での一貫性のなさに納得するのに時間がかかりましたが、それも留学がないと考えないような将来像について突っ込んでいくことができた非常に有意義な機会であったと思います。(提出がギリになった若干苦いエピソードもありますが笑)

 

そうして来る10月の頭の締め切りに願書を提出することができました。

 

 

〜通過をした時に〜

 

 合否発表はちょうど三田祭の2日目でした。朝、駅へと向かう途中に見ると合格という文字を確認できました。

 

大きな達成感やきっかけをくれた多くの友人への感謝とともに留学をスタートと感じたあの瞬間からこの日までの自分を振り返ると非常に大きな人間としての成長があったと思います。

 

これでスタートラインに立つ切符を手にできたと思うと同時に、海外への恐れや挫折はなく、寧ろそこで挑戦できることへの喜びすらありました。

 

怖いのは海外ではなく、失敗する自分だということに気づけたのは本当に大きかったと思います。その殻を作ってしまったことも壊すことができたことも、留学に臨むに当たり自分が周りをどのように意識していたかということが如実に反映されていると思いました。

 

ともあれ、結果このような機会を作り出すきっかけをくれた友達の存在の大きさとその殻を破った瞬間に初めて自分は世界に行けるんだという二つを実感しました。

 

以上となります。とてつもなく長い自語りにお付き合いいただきありがとうございます。今後はもっと具体的な留学事情に目を向けた発信をしていくので是非ご覧頂ければと思います。